そう言えば購入して読むのを忘れていました。ってな訳で読んでみた。
目当ては勿論、十二国記「丕緒の鳥」。
主人公は慶国の羅氏、丕緒(ひしょ)。
悧王の即位の際に仙籍に入ったと言う人物。
時は予青七年、七月末。
丕緒は羅氏を掌る射鳥氏(せきちょうし)に呼び出され、新王の即位礼に向けて大射(たいしゃ)の準備を命じられる。
大射とは、国家の重大な祭祀吉礼に際して催される謝儀を特に言う。
謝儀とは、そもそも鳥に見立てた陶製の的を投げ上げ、これを射る儀式である。
大射では、射損じる事は不吉とされるので、矢は必ず当たらねばならない。射手の技量もさる事ながら、的となる陶鵲(とうしゃく)も当てやすいように作らねばならない。
そればかりでなく、それ自体が鑑賞に堪え、更には美しく複雑に飛び、射抜かれれば美しい音を立てて華やかに砕けるように技巧の限りを尽くさねばならない。
かつて逸話になった事もある陶鵲を手掛けた丕緒に、再びそれを頼む射鳥氏。
しかし丕緒は複雑な心境であった。
新王はまたしても女王である。
慶国とは相性のすこぶる悪い女王。
そう長くは続かないだろうから、工夫した陶鵲を作った所で始まらないと腐る丕緒。
悧王の時代末期。
丕緒は羅氏であり祖賢という射鳥氏の元で学んでいた。
ある日、暴君となってしまった悧王に謀反の疑いをかけられ、祖賢は処刑されてしまう。
この時以来、丕緒は陶鵲は民を現しているのだと思うようになった。
そして予王の時代。
丕緒は部下であるり同士である蕭蘭(しょうらん)を、女官駆逐の余波で失う。
祖賢に続き、蕭蘭まで失い、自分の無力さを嘆き国に絶望する丕緒。
そう言った経緯があったため、丕緒は王に対して何も感じなくなっていた。
しかし作らねばならない。陶鵲を。
予王の大射で作った陶鵲ならば、間違いはないだろうと思い至った丕緒は、そこにどんな工夫を施すか思案する。
そこでかつて蕭蘭の弟子であった青江(せいこう)と話し合う。青江の語る、蕭蘭が思い描いていた陶鵲。
そう言えば、丕緒は一度も蕭蘭の作りたいようにさせてやった事がなかった。
今の自分が思い描いている陶鵲と、かつて蕭蘭が思い描いていたものが重なった。
蕭蘭の望む陶鵲を作ってみようと立つ丕緒。
そして大射の日。
見事なまでの謝儀。恙なく終わった。
夜、新王に召される丕緒。
胸が痛むほど美しかった。
そう語る新王。
この王なら…と、丕緒は確信した。
慶に新しい王朝が始まる。
約6年ぶりにお目見えした十二国記。
小野主上が、何か吹っ切った感じがするのは私だけでしょうか。
この調子で是非!新刊をっ!!